タロットで木星と言えば、運命の輪だけれど…
最近になって知ったのですが、タロットカードはもともと
生命の樹やらなんやらの魔術・秘教系の学問とは
直接の関係がない可能性があるらしくて
「なーんか当てはめてみたら、シックリきちゃったから
コレ、ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け団)的なものにして広めてみよっか~」
的なノリで、現在のウェイト版タロットが出来上がったらしい、
という説があるそうです。
(参考文献:タロット―こころの図像学・鏡リュウジ)
なんでシックリきちゃったかというと、
タロットの原型には
ユング心理学でいうところの、集合的無意識の元型が含まれていて
それが理由で魔術的・秘教的な学問とも上手くフィットした、という
ことらしいのですね。
射手座というサインは、この
「なんか知らんけど、組み合わせたらシックリきちゃった!」
系の話や、そこに至るまでの経験
または
「考えてみても、なかなか答えの出ない問い」
に対して、なんらかの答えを見つけてみたい、
という情熱や衝動そのものを表しているように思います。
(それは蠍座の一体化ではなく、
一つの完成された状態から、
解き放たれてもっともっと広く大きくなっていく
全体への視点に転換していきたい欲求。)
よくわからない状況に流されるだけなら、
運命の輪のカードのように翻弄されるのでしょうが
もし、運命というものに巻き込まれながらも、
その本質を見つめようとするならば
私たちはもう一つ上のパスにある、
法王の視点に少し触れることができるのかもしれません。
その為には、ケセド(慈悲)=木星を通らなくてはなりません。
射手座サインの人達のイメージに
「いい加減で大雑把ところがあるけれど、憎めない」
ところがあるのは、この射手座の木星のパワーが持つ大らかさの
側面なのかしれません。
たまに、より高次の視点・考え方を求めようとするせいで
周囲に対してついつい
自分の見聞を熱く語ってしまったり
または、意見が対立することを恐れなかったりと
大物を通り越して無礼者みたいになってしまっていることもありますが…
もうひとつ例えとしては
昔は悪党だった人が、改心して
お寺のお坊さんになって
そのお坊さんがする説法には、他のお坊さんの語り口にはない
面白い例えや妙な説得力がある、みたいに
人生のあらゆる物事は、自分の信念・理想に辿り着くまでの
過程として、こういった射手座的な冒険は
やっぱり必要なのだと思います。
清濁を抱え込み、受け止めることが出来るようになればなるほど
物事や他者への理解は深まり、自分の世界もどんどん広がっていく。
木星の過剰は、贅沢ともいわれますが
そのもっと、と求めてしまう気持ちには、
その先に何かが見つかりそうな期待を抱いてしまうからなのでしょう。
長い旅路そのものを、なりわいとするも良し。
旅路の果てに、人生で何かを為そうとするも良し。
というわけで
秋の夜長の射手座の季節は、
こういう深い話を考えるにもってこいの季節なのではないでしょうか。
ぽちっと。