インナーチャイルド問題

スピリチュアル
顕在意識と潜在意識の戦い

こんにちは。

癒しスタジアム出店も無事に終わり、今は見直しをしながら
今後の改善点を洗い出している最中です。

まず、疲れやすさ(グラウンディングや境界線の問題)
伝え方(これもグラウンディングが関わってる)
あとは、自信などなどですが

結局、外側の反応(お客様の満足度とか、来客数とか)よりも
自分の内面からくる、自信の無さや、頑なさなど、そういった面に対して
調整を行ったほうが良さそうだ…と毎回ながら思います。

というのも、伝える側の私が迷っていては、サービスを受け取る側の
お客様も迷ってしまわれるからです。
私の場合、ついつい万人に好かれようとするから、迷いが生じます。


これは、あかん。

八方美人になっては駄目。頭ではわかっている。
しかし、お客様から嫌われたくないと心が焦る…
そう悩んでいるうちに、占いに集中できなくなってくるのだから、全く悪循環もいいところです。

すすんで嫌われたい人などいないと思うけど…

普通、人は自分自身を「悪い奴だ」とは認めたくない心理を持っています。

他の言葉で言えば、利己的であるとか、自分勝手だとか
他人から「それって、自分のことしか考えてないよね?」と批判されるのが
本能的に、とても居心地悪く感じるものなのです。
日本人は特にその傾向が強いです。

ですので、そういう心理を持つ人々に「人に嫌われても、いいじゃない。」という説を唱えたアドラー心理学は、ベストセラーになりました。

※ただし、アドラー心理学はより人として高尚な理想でつながった共同体を目指して唱えられた説であると言われています。なので、「単に好き勝手生きて良い」理由としてアドラー心理学を解釈するのはアドラーの意図とは違うそうです。

引き寄せの法則

占い師をやってると不思議なもので、自分の内面が写し出されるかのような
お客様が占いにいらっしゃることが多いのです。

「ああ、前はこういうことで悩んでいたな」
「うん、あの人は実はこう思っていたのだな」
「このご相談内容は、自分にも同じような部分がある…」

そんなふうに思いながら、でも目の前のお客様のお悩みにちゃんと集中しつつ、
少しでもスッキリした心でセッションを終えていただけるように
けっこう、ギリギリまで頑張っていたりします。

ただ、まだ時々
自分の境界線を守り切れないセッションの仕方をしてしまうことがあります。

そういう時は、決まって
「ここで、本人の気持ちを受け止めてあげなかったら可哀そう」
そう思ってしまっています。

これは優しいように見えるかもしれませんが、私が可哀そうと相手に同情しただけでは
「問題を解決できずに一緒に泥沼にハマっていくだけ」なんです。

そうは気づいてはいるのですが、セッションの時間の理由と
私自身が「どういうセッションをお客様に提供していきたいのか」がまだ
ブレずにいることが出来ていないので

お客様を混乱させたり、そして自分も消耗していたり…
そんな事態を引き起こしているのです。

チャクラの階層で、インナーチャイルドの問題個所を特定してみる

そして、どうしてブレてしまうのか。
その理由は
インナーチャイルドのいる潜在意識の領域と顕在意識が上手く繋がっていないからです。

私の場合、この自己承認・他者との境界線の問題は
第1・2・3チャクラからきています。

チャクラの階層を、人間の成長段階に置き換えてみると

第1…新生児

第2…乳児期

第3…未就学児

第4…小学生思春期前まで

第5…思春期~青年期

第6、7…本人のタイミング次第によるところが大きい

という感じだと思います。

表現力や無条件の愛といった第5・4チャクラ以降の力は
第1から3までの土台がしっかりしていないと上手く伸びていきません。


第1・2・3チャクラは、周囲から与えられる環境や反応によって左右されやすいので
乳児期・幼少期に大きなトラウマとなるような経験をしてしまうと
「こんなクソッタレな世界、誰が認めてなんかやるものか!!」
と、インナーチャイルドがお引きこもりになられてしまいます。


厄介なことに、この幼少期の体験というのは
トラウマの原因を作り出した人や環境に、大人になってから
責任を取らせたり、謝らせたりしてインナーチャイルドの機嫌を
とることができない点にあります。

よく、毒親とか言いますが
知らないうちに毒を子供に与えるから毒親なのであって
毒になった張本人には、傷つけた相手を癒す能力は始めから無いのです。
(ですので、ACの方やDV被害者側の方は、相手(恋人や親)が変わってくれるなんていう希望を持つのはやめたほうがいいです)

インナーチャイルド癒しは一度死ぬことと似ている

インナーチャイルドの癒しには、内なる子供の育てなおしが必要になります。
大袈裟な表現をすると、もう一度生まれ変わるといってもいいかもしれません。

ただし、これが口で言うほど簡単ではなく難しい。
一度、今までの自分の人生を無かったことにするのと同じ喪失感がもれなくついてくるからです。


良い信念だろうと、悪い信念だろうと、長年連れ添ってきたものを手放すのは
寂しさみたいな感情が湧くものです。

だって、自分を今まで散々苦しめてきた負の感情や記憶・エネルギーでさえ
生まれてきてから与えられたもの(1・2・3チャクラに取り込まれたもの)なのですから、
それを手放すと考えただけでも、死んでしまうような気持になることでしょう。

たとえば、人への憎しみのエネルギーで生きてきた魔王が、僧侶によって憎しみのエネルギーを無理に浄化されてしまったら、もう魔王として生きていくことができませんよね。

魔王のアイデンティティが急に消失してしまうのは、魔王からしたら恐ろしいはずです。
魔王としての生き方しか、生まれてこの方知らないからです。

(だから、他人を無理に変えようとしてはいけません。)



書きたいことはまだまだあるけど、キリがないので今日はこの辺で。

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