何が、人を一番惨めで、結局は無駄な努力をさせるのかというと
それは「自分自身の本当の望みを知らない」ということです。
私達は、物質次元での自分という存在以外の可能性、
つまりスピリチュアルな次元での自分の存在に気付いた時、
この世(物質次元)での幸福と魂として純粋に望んでいる幸福との区別がまだはっきりつかない段階において、この矛盾を解消するための答えを求めて迷子になり始めます。
「スピリチュアルな学びは螺旋階段のように進む」
と言われるように、私たちが魂の進化を生きながらに達成していく過程というのは、
一気に真っ直ぐ上っていくものではなく、緩やかに気付きを得ながら段階を経ていく・・・というのが
だいたいの過程になります。
望みが一つ叶えば、また次の望みがやってきます。
昔は「これさえ叶えばあとは何もいらない」と思っていたことさえも、
時が経つごとにそれは過去のものとなっていくのです。
物質世界において、一番確かなものはまさに所有できる物です。
ですが、その所有物を感じ取る私達人間の価値観のほうは、時が経てば必ず変化していくのです。
いくら愛でていても、心変わりすれば人は所有物を手放します。
私達は、手に入れる前からすでに持っているという精神的な安心感が絶対に必要です。
私達は所有物によって生かされていますが、所有物ではありません。
所有物によって満たされていることと、自分の魂の価値とは直接イコールではないことを学ばなくてはなりません。
そうでなければ、ずっと所有物を纏うための強迫観念と共に生きている人生になるでしょう。
さて、あなたの今の望みは、本当に魂からの願いですか?
それとも、誰かに「こうならなければ不幸になるぞ」と言われて恐怖心から願った望みでしょうか?
もしあなたはまだ気付いていなくてもあなたの高次の存在はいつも気付いていて、色々なメッセージを与えてくれています。
高次の存在のメッセージは、風のそよぐ音のようにささやかでシンプルでありながら、言葉を超えた直感であなたに気付かせてくれるでしょう。
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