人に“こうあってほしい”という期待と失望の先

スピリチュアル

 私が占いや心理学のことを始めてから、10年以上が経ちました。
その間、ずっと考えていたことが
「どうして人は他人に自分の理想を叶えてもらわなくては不幸だという感覚を感じるのだろうか」ということでした。

 いくら、表面上は美しい言葉や正しい言葉で取り繕っていても、誰かに対する期待と言うのは結局のところ、自分自身の中にある願望にしか過ぎないのです。

 たまたま偶然に自分の理想と相手の理想が合致すればその瞬間は幸せなのかもしれませんが、また新しい願望・欲望が自分の中から生まれてきたときに、またその次も偶然が起きるとは限らない。

 なので、結局はいつか人はまた「自分は不幸なんじゃないだろうか」という気持ちを感じることになるのだろうな、と思うのです。

 私は自分の人生が、そんなしようもない理由で行ったり来たりさせられるのが嫌でした。なので、学び始めの頃は占いや心理学に「他人や自分の人生を操る方法」を求めました。

 しかし、学び始めて数年経ったころに分かってきたのは、心理学や占いが分かるのは、ほとんどが「その人の過去のこと」ということです。

 「その人の過去」とは、主に成育歴のことを指します。スピリチュアルな分野も枠に入れるなら、魂に記憶されている前世などがそれに該当します。

 それらの個人の過去と言うのはいわば西遊記の「三蔵法師によって助け出されるまで孫悟空の上から500年も動かない大岩」のようなもの。

 そして、誰か(孫悟空)にとっての三蔵法師になれるのは結局他人ではなく、その人自身でしかないのです。

 つまり、占いや心理学では、「他人を変えること」は出来ないのです。

 それらを使ってせいぜい他人が出来ることと言うのは、相手が望む時に自己受容の手助けをするか、逆に相手の傷を抉って嫌がらせを行う(または意図せずそのような事態を引き起こしてしまう)か、それくらいのものだと思います。

 もし、心理学や魔術的な呪いなどで人の気持ちを操ることが出来ると言うのなら、それには恐怖や劣等感などが伴っているはずです。そういう時は、心の弱みにつけ込まれているだけなのです。

 私は今までいわゆる「占い師」になろうとして、人の悩みを聞いてきました。

 私が上手く自分でも占いの仕事を出来たと感じ、達成感を得られたのは、「自分が良い方向へ変わっていこう」という決意があった方達です。

 逆に、「周囲の環境・他人を思い通りにする方法を教えて欲しい」という相談はいつだって上手く行きませんでした。
これは、相談者さん本人に落ち度があるなしに関わらず、そうなのです。

 そして占いをする私自身にも、相談者さんの心や考え方を変える力はありません。

 では、人は結局他人に対して何の力も持たないのであれば、どうすればいいのでしょうか。どのように他者と関わることが出来るのでしょうか?

 チャネリングで有名なバシャールの言葉の中に、「許可証」というものがあります。
簡単にいうと、「許可証」とはこの現実を創っている私達一人一人の信念に文字通り許可を与えているもの、というような意味です。

 私達が持つ信念は、絶対的真実ではありません。これもバシャールが言っていることですが、信念は例え親から受け継いだものであっても、自分がその信念を望まないのならば手放すことが可能です。

 私達はお互いに毎日、相手や自分の信念の強化や剥奪を行いながら過ごしています。

 望ましい信念を相手が強化してくれたり与えてくれたら、お礼に何かをしたりあげたりします。そして逆に、自分が望まないことをされたら、罰したり無視をするといった反応を起こすのです。

 なので、こういった事を「自分でやっている」と意識出来るようになるまで、私達は無意識のパターン(=現実をつくっているもの)から変わるのが難しくなる、というわけです。

 さて、ここで冒頭の内容に戻ります。

 私達は、生まれてから数年の間、この美しくも危険な地球上で生き延びるために自分の保護者・養育者達に「権限」を与えました。

 「彼ら・彼女らは私よりも正しい」
だから、生き延びることが出来る、という生存のための強い呪いにも近い信念です。

 私達は、肉体の本能的に、他者から見捨てられたらとてつもない不安を感じます。

 その不安のルーツは、自分の一番初めの保護者や養育者である親であり、それが成長に伴い恋人や友人、子供など身近な人間関係にまで投影されていくのです。

 しかし、その不安を感じないようにするための土台となっている信念は、いつかは新しいものに置き換えられる必要があるでしょう。

 他人から愛されることよりも、他人から受け容れてもらうことよりも、自分自身をまず先に愛し受け入れることの大切さは、今やどこかしこでも説かれていることですが
なぜそれが必要であり、また逆のパターンの望みはいつまでたっても完全に満たされることがないのか、という理由を考えてみることが大切だと思います。

 自分を愛するために他人を言い訳にするのはやめよう、と思えた時に初めて、自由になる何かが感じられるようになるのかもしれません。


【読んでも読まなくてもいい追記】

 実は、今回の記事のインスピレーションの元になったのは漫画「ゴールデンカムイ」の尾形百之助だったりします。

 こう言った記事はちょうどいいタイミングのチャネリングメッセージをその時々に書いているのですが、メッセージが降りる前に資料としてこういう漫画などを読まされる(チャネリング媒体の私が夢中になるものに出会う)ことも多いです。

ちなみにゴールデンカムイ自体はエンターテイメントとしてよく出来ている漫画なので、「何となく暇だなぁ」って時の暇つぶしには超おすすめです。
(本当よく出来た漫画だなって思う)

 この17巻の表紙の尾形百之助というキャラクターは作品中でも一番丁寧に内面の描写がされています。尾形のようなキャラは読者から確実に人気が出ると理解して作られているような気もする・・・デカイ釣り針ですよ全く。


 尾形は狙撃手という役割かつ生い立ちの不幸さからか、「サイコパス」とか言われることが多いですが、他の作中キャラの方がよっぽどナチュラルにイカれている人物が多い、そんな漫画です。
(ヤバいはずの尾形が普通に見える、不思議な漫画。)

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