私のスピリチュアル探究のルーツ

スピリチュアル
alicia3690によるPixabayからの画像

こんにちは!

この記事を書いている今は秋、朝晩は肌寒いのにお昼は暑いくらい…

温度差の激しさに、昔ホームステイしたオーストラリアでのことを思い出します。

私が英語学習に興味を持ったのは、
「自分の知らないことが
世界にはたくさん溢れているんだ」
というワクワクした気持ちがきっかけ。


15歳の時に初めて日本の外に出て、

異国の空気を実際に感じて思ったのは

「ああ、私は何にも知らないんだな」

という、自分自身の爽やかな「ちっぽけさ」でした。




その頃は、英語力もさることながら

心の知恵というような、人の感情や行動に対する
経験値が圧倒的に少なくて…

オーストラリアでの短いニ週間の記憶には、
今だに後悔しているようなこともあります。

どんなことを後悔しているのかというと、それは

「よく分かっていないことを分かっているフリをした」
ということ。

周りにつられて笑った反応をしておけば、正解だろうと思ったのです。


でも、後で意味が分かったときに、
私は深く後悔しました。

傷つけるつもりはなかったのに、
結果的に相手には嫌な思いをさせてしまった…

でも、こちらの心なんて相手に直接分かるわけじゃない。


私はその経験をしてからというものの、
言葉の正しさや発言の意図を

「ちょっとウザいくらい」

確認するクセがついてしまい、
言いたいことも素直に言えない時期が続きました。



その後、これまた色々あって引きこもりや鬱と言われる状態を経験し

やがて心理学から占い・スピリチュアルといった
より大きな全体からの視点で、
世界や人生を解釈することに興味を向けるようになりました。





どこに世界共通の

「正しさ」

「答え」
があるんだろう…

たくさんのジャンルの知識をつまみ食いしながら、
どのジャンルにも共通の「何か」を探して
ずっと長年、特定のとこには根付かずフラフラしていました。

(天秤座アセンダントと3ハウス射手座っぽさがすごく出てるともいえる)





ブログではたまにキツい内容の記事も書いていますが
情報を受け取った本人にとって良い影響を与えないもの、
何らかの知識や考えの助けにならないものは、

「合わなかったらどうかスルーしてね。」

と思いながら公開しています。


なんでって、「正しい」ものなんてないし

正しいなんて絶対的なものなんてなくて

「その場その人でそれが適切かどうか」

…だけだと、今の私は考えています。



私も逆に、受ける側の立場として「それはどうなの?」って経験がたくさんあります。


でも、そこで「自分の方が正しい!」
って反論したり噛みついたりする時ってもはやもう
「正しさ」じゃなくて「プライド」なんですよね(^^;)

悲しかったとか悔しかったとか
怖いとか…

これって、ほとんどの人が共通して持っている当たり前の感情。
でも、それを全てコントロールして誰にも(自分も含めて)危害を加えないでおこうと思ったら
だいたいが「黙っておく」しかないんですよね。


言葉が切り出せるものは、限られている。

私にとって正解でも、あの人にとっては違う。

そんなことが、占いやスピリチュアルの探究を続けていれば
自然と
「分かる」
瞬間にも多く出会います。

適切な行動がとれなかったな、て思うことがあったら、
次からはそれを知恵に変えればいい。

始めから失敗することを心配していたら、何もできませんし
言えませんよね。




___自分への寛容さや愛情を制限して苦しむことで、
他人から攻撃されずに済むと思って
いつまでも自分をいじめるのは、もうやめた。

そんな気持ちに少しでもなってもらえたら嬉しいなと思いつつ、
今日もスピリチュアルや占星術の記事・セッションを提供しています。

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