精神疾患・発達障害とスピリチュアルなことについての個人的考察など

スピリチュアル
Evgeni TcherkasskiによるPixabayからの画像

はじめに

 ※2020年11月18日追記と一部修正

 この記事の内容は、主に私個人の経験と見解を伝えるものであり、現代医学への批判的発言の正当性やスピリチュアルにおける真実を保証するものではありません。

この記事は「過去に診断を受けたが数年経って寛解した人」向けに書いています。
特に注意していただきたいのは、「発達障害の方および精神疾患を現在治療中の方に対して、治療の中断を勧める意図をもって書いているものではない」という部分です。
人には、個人の人生の段階によって、その時々に必要とする情報やサポートが違います。
今はまだ医師からの診断と治療、社会からの福祉的サポートが必要な段階の方がこの記事を読んでも、むしろ悪影響になる可能性があります。

(この文章の意味が分からないなら、これから先の部分は読まないでください。)
記事に対する反応・判断は必ず、自己責任でお願いいたします。






 今回、自分の3X歳の誕生日を機に、今まで公表するのを一番ためらっていた部分の自分の過去を含んだ記事を書きました。

 なぜためらっていたかと言うと、無用な攻撃や偏見を避けたい気持ちがあったからです。

 私自身は自分の過去については受容していますが、こうやって記事にすることによって、他者にとっては受け入れがたい私という人物像を知る機会がネット上に出来たことになります。
ですが、今回あえて公表しようと考えたのは、「もう隠しているほうがデメリットになる時期に来た。」と占星術的・直感的に感じたからです。

 個人の真実や信念に従って、世界の感じ方や人間関係がどんどん変化していくのがこれからの時代です。
そんな時代に、自分ではないもののフリをすることにどんな意味があるでしょうか。

  私達は、自分がどんな人間であるかを公表し、そして同じ信念をもつ人達とのコミュニティ(精神的・実際的な意味両方で)で生きていくのが、これからの社会生活の在り方になっていくでしょう。

 なので、自分にとって真実であり願っている生き方に正直になる必要があります。
自分と同じ意識レベルの人であるかどうかが重要な時代になっています。その為に、私も今回は勇気を出して、このブログを読んでくれている皆様に自分のことをシェアしたいと思います。

 いつも通り、自分にとって必要な情報だけに集中してください。
あなたが読んで、違うと感じた部分については受け流してください。特定の考えを持っている人を攻撃したくて書いた記事ではないからです。
それに、私の言うことは誰にとっても真実であるとは限りません。

 この記事が、あなたがあなたらしくなるための何らかの小さなキッカケとなれば、幸いです。

発達障害者としての、今までの私の経験

 私は過去に、思春期精神科に入院したことがあります。
16歳~19歳頃の私は、今では考えれないくらい錯乱した日常を送っていました。
「意識がどこかへ持っていかれる(解離症状)」状態が頻繁にあり、意識をハッキリさせるためにリストカットをしていました。死ぬつもりではなく、自分の身体を傷つけなければ、現実に留まっていられなかったのです。心身が、常に雪山で遭難しているような状態でした。

 そんな状態で、努力して入学した進学校の授業にもついていけなくなり、やむを得ず高校を中退・入院することになりました。
母親と祖父からの精神的虐待の影響と、生まれ持っての身体欠損、その他感受性の高さにより発症した精神疾患について、医者からは「この子は一生治りません」と言われていました。

 しかし、私はその後退院して少し遅れながらも高校も卒業し、就職もして成人してから大学にも入り、たくさんの経験や知識を得ることが出来ました。
もし、私が医者の言うことを真に受けて「自分にはもう何も出来ない。病気も治らずに、意識がボーッとするこの変な薬を飲み続けるしかない」と信じていれば、ここまでのことは出来なかったでしょう。

 私を含む、思春期精神科に入院していた子供たちは医者や看護師にとってどういう存在だったのかを考えると、私にはどうしても、あの人達が本当の意味で私たちに向き合うことの出来る程の存在だとは思えませんでした。
彼らの仕事や言葉からは、私たち当事者が抱える空虚を言葉にできるほどの人間的な深い共感力と、明察さを感じとることが出来なかったからです。
まるで、一度も溺れた恐怖を感じたことのない人達から、溺れかけた時のパニックに対する対処法を教わっているかのような皮肉さを彼らとの間に感じていました。


 だから、私は自分の直感に従って病院通いを止め、薬は全部処分しました。
痕だけは残ってしまいましたが、あれから十数年経った今もリストカットは再発していません。


 今思い返せば、私はこの頃の経験が、医者や大人達(権威)が構成している社会というものの薄っぺらさ、単なる知識の無力さを感じてそういうものへの信頼を失ったタイミングだったのかもしれません。
以来、いかなる権威への盲信も、私の中からは失われていきました。(代わりに、小馬鹿にする態度が増えたかもしれません)

 しかし時には、そういった社会的な力を持つものの保護を受けることによって助けられることもあります。命の危機にある時は、そういったものをあえて利用することは選択の一つだと思います。

 ただし、一時的に助けられても、ずっとその保護の中で生きることもまた難しい問題です。なぜなら、社会からの保護は、時間が経ってくるにつれて私たちに再度その社会文化に戻り適応するように迫ってくるからです。 
これも、ある程度時間が経てば色々変化してくるでしょうが、状況が変わるまですべて周囲に頼るわけにもいきません。

 そうなれば、次に私たちが考えるのは、ずっと「大丈夫ではないフリ」をして保護の猶予を伸ばすか、崖の上から飛び降りるような思い切った行動をして、「どうだ!やったぞ!」と自分を世間に認めさせる自傷行為のような衝動にかられるかのどちらかです 

 この問題に対する答えはそのどちらでもない自分なりの別の選択肢を見つけることです。
社会で人が本当に自立している状態というのは、単に社会の中で依存できるものにしがみつくことではありません。

 その自分なりの選択肢というものは、誰もが自分の意思や行動で試行錯誤しながら考えて導き出していくものなのだと、私は考えています。
最終的には、誰もが必ず自分自身と対話することが必要となります。
その努力を怠るのなら、環境や他人に不満を漏らしながら我慢して病気になるか、人間関係(恋人や家族、特に親自身の課題が投影されやすい子供)において、大きな問題が起こるまで気づかないフリをするしかありません。

 私が今までの人生の半分以上を通して、発達障害・精神疾患という状態から得たものは、以上の教訓です。

定型発達者と発達障害者は、互いを未知のものとして受け入れるだけでも関係が癒される

 あらゆる複雑な状況は、自分という存在に対する二律背反によって起こります。そしてそれは、幼少期の親との関係ですでに始まっているのです。(なので、親との問題を持たない子供はいないと言われています)


 私達は自分自身を肯定して誰かを落胆させるか、自分自身を見捨てて誰かを喜ばせることに一生を捧げるかで、いつも人生でお馴染みの問題を作り出しています。
誰かを追いかけ続けているうちは、真の幸福(平安)に辿り着くことは出来ない、と説いているのが悟りやワンネスの考え方なのでしょう。


 その悟りやワンネスに至る手段は様々あり、どれが正解というものはありません。
おそらく確実だと言えることの一つは「自分の内側にある答え」こそが本物だということでしょう。それ以外のものは、全て自分の内側を確認するための、様々な角度から写し出された鏡の風景のようなものです。

 スピリチュアル的な観点から見れば、「発達障害の魂」というのは存在しません。現実的な観点から見れば、「人の言うことを素直に聞かない人達」で「病名を付けたくなるくらい社会に適応しない人達」とも言えるかもしれませんが、それは一昔前の人種差別にも似ています。

 誰でも、自分が快適な状態を望むのが自然な心の動きです。
知性は、心の欲求を叶えるために過去の記憶を探し出し、推論を立て、私たちはそれを元に行動しようとします。
ある新しい体験に関しては、自分の中に該当する記憶がないので知性では対処が出来ません。
なので、新しくその体験を受け入れることでしか知性は成長していかないのです。

 ということであるならば、「新しいものの見方を受け入れなければならないのは、定型発達者と発達障害者のどちらであるべきか?」なんて議論は、バカバカしいことだと気付きます。
自分とは違う相手に対して理解したいと熱望する気持ちがないのなら、分かったフリをしないで「分からない」と素直に認め降伏したたほうが、状況や関係はかえって進歩のあるものになります。抵抗しながら受け入れることは出来ないからです。

発達障害者の多くがスピリチュアルに関わる理由

 発達障害と言われる私達が、なぜスピリチュアルに傾くのかと問われれば、答えの一つとして既存の集団社会から疎外感を感じやすく、「人間の意識を超えた視点が、同じ人間同士の間で起こる様々な争いを解決するために必要だ」と直感的に求める気持ちが強くなるために、現状の世の中に対する幻滅と変化への欲求を感じやすいからではないでしょうか。

 スピリチュアルが提供するものとは、ものの感じ方・考え方の次元を変化させることです。

 この記事を書いている2020年11月現在、世間はちょうど変容の真っただ中にあり、たくさんの人が社会や常識への幻滅という名の、スピリチュアルな目覚めの機会にいます。

 肉体に入っている以外の時間の私達(魂の状態)について意識が向くには、この世界への体験で忙しくなっている私達の興味をいったん醒まさなければなりません。
新しい時代に変化するときはいつでも、停止や破壊的な要素がなければ気が付かないのです。

 世の中への幻滅と、自分の中の「何かの真実があるという予感」を追い求める情熱は、いつの時代であってもスピリチュアルな意識の進化・探究へと繋がっています。

おわりに

 今日書いたこの記事も、これからはすぐに過去の古い情報になるでしょう。
なぜなら、人々の意識の変化が今までのどの時代よりも早いからです。
「発達障害は病気で社会問題だって?こんなの、今じゃ誰でもある普通のことだよ。それに精神疾患なんて言葉、現代にはもう存在しない。何世紀前みたいな話してるんだ?」
こんなふうに言われる時代も、そう遠くないように思います。

 私達の中にこれからも長い間、変化せずに残るものは情報や知識や物ではなく、共感や理解といった人間的な心の部分、特に血縁や因縁を超えたより広い範囲の人間性をカバーするものでしょう。私達は、今までもこれからも、間違いなく進歩しています。

 人々がスピリチュアル的なものの見方をすればするほど、地上は楽園に近付いていきます。
それは決して人々が現実逃避をするからという意味ではなく、争いや悲しみの元になっていた幻想が解けることによって、人々の生き方や心が楽園に近くなるという意味です。

 そうなるまでにはまだいくつかの段階がありますが、目の前の現実に打ちのめされそうになるよりかは、このような考えを知っていたほうが、人生のいくつかの選択肢からより良い判断をする際の材料となるでしょう。



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コメント

  1. mm より:

    こんにちは、何度も読み返してしまいました。

    ヒラリさんにとって相当な痛みを伴っているだろうということと、読み手に与える影響によって返ってくるかもしれないダメージを思うと、もしかして消されてしまうのでは、と少し気がかりでした。
    冒頭の追記を見て少し安心しました。

    私は情報を受け取るのと同時に癒しとか支えを感じていたので。
    コメント迷ったんですが、変なこと言っていたらすみません(^^;

    • ヒラリ より:

      mm様

      コメントありがとうございますm(__)m

      おっしゃる通り、実際には消そうかなと迷っていたのですが、
      こういう思い切った内容の記事に励まされるという感想をいただくこともあり
      (ご感想をくださる皆様、ありがとうございます。)
      今後もなるべく文章力を上げながら、こういう記事を少しずつ書いていけたらなと思っています。(^^)