「幸せに努力や苦労は不要」の本当の意味

スピリチュアル

こんにんちは。

蝉が元気よく鳴く季節になってきました。


人生って、お迎えがくる瞬間には


「ああ、あっという間だったな」


とか



「こういうふうに生きたかったな」


とか、多分思うものだよね…。


と、1週間しか生きられない蝉の声を聞いていて

少ししんみりしたことを考えてしまいます。



でも、蝉みたいに


「やりたいことだけをやって、いつでも後悔のないように生きる」





っていうのは、結局のところ



人生に対して無計画のようで
そうではなくて、

逆に
とても誠実な生き方をしている


とも思うのです。


私たちはなぜか、

幸せへの遠回り

ってやつが、大好きみたいで




苦労

努力

忍耐




してこそ、やっと幸せが来る!!

とか、

やりたいことをやる許可が出る!!



みたいな強迫観念をつい作動させがちなんですが



これを人生における
あらゆる考え方へのベースにしてしまっていると



そうやって我慢している間


「嫌だな」


「辛いな」


「何で自分ばっかりこんな目に」


っていう、負の感情を感じる時間が
長くなりやすいわけです。


そうなると、人生は

苦労=幸せ


苦労=成功

になりやすい。






なんでこうなるかっていうと、


苦労の先にしか幸せはないから

という信念が出来上がってしまっている



からです。









そして、一番困るのが

その我慢や苦労はどのラインまで行けば

合格!

が出るのかも実は分かっていない
場合が多いということ。



まさに実体のない(?)苦労。






だから、苦しいまま走り続けるのが
幸せである

って状態になってしまうんですね。







苦労や努力は
幸せにつなげるためのタスクです。

方法の一部であって、目的そのものじゃない。








自分が惨めだから、

自分には足りないものがあるから、

で人生の中の選択をするのではなく








自分はもともと完璧で素晴らしい存在だから、

もっとも自分の人生が輝く生き方を選択する







この意識がちゃんと自分の中に
太く逞しい芯としてあれば、








「努力しなきゃ」



とか


「苦労しなきゃ」


という



「~しなきゃ」




という自分への不足感からくる行動は消えていきます。

ある意味、時間というのは平等で残酷です。


嫌いなこと
苦手なこと

これらにたくさんの時間をかけても


好きなこと
得意なこと

こっちにたくさんの時間をかけても、



人生の最後の瞬間というのは

必ず、やってきます。

だから

努力した・苦しかった!

よりも

沢山出来て良かった、後悔していない!


と思える人生の選択を、されてみてください。



他人からの評価を超えて、夢中になれることが
人生の中に一つでもあれば、それはきっと
深い孤独の時でもあなたを救ってくれます。





どんな人でも救えない深い絶望の中でも、
それだけはあなたを裏切ったりしません。


そして、それはあなたが本当に他人に分け与えることの出来る
ギフトになります。

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