人生の選択とスピリチュアル

こんにちは。
今日も私の住んでいる関西は暑いです。
この記事を書いている現在、西日本では大雨・洪水による自然災害の影響を受けている地域もあります。少しでも早い復旧・皆様の無事を願っています。

被害に遭われていない地域にお住いの皆様も、夏は水分補給をしっかりと、くれぐれも体調の変化にはお気を付けくださいね。喉が渇いたと感じる前に飲むことが大事らしいですよ。

 

 

 

 

先日、ミディアムシップの講座をオンラインで受けさせていただきました。
今日は、その後の気づきなんかをシェアしていきたいと思います。

 

 

 

 

結局、どうしたら、どこまでやったら自信とかつくの?

 

どこかやどなたかから、見聞きしたり少し教えてもらっていたテクニックでチャネリングを今までしていたので、「ちゃんとできる人に一度しっかり見てもらったほうが」という気持ちで、何度かお世話になっている先生にミディアムシップの講座をお願いしました。

そうしたら、(今こそ、今度こそ)自分で腹くくってスピリチュアルなこと始められる(もうやってるけど)、と思ったからです。


…というようなことが、今回が初めてではないのが恥ずかしい話。

耳に痛いメッセージや、自覚のある話、勇気をいただける言葉を先生から聞きながら、それでもまだ「いや、あと数年先になんとかしている感じだろう」とか心の中で思っていたら、そこらへんもきっちり指摘されてしまい、驚いておりました(^^;)
(「なんでわかるの、スゴイ!」と毎回、先生とお話していると思います。)

色々思うところが自分にあり、こういうスピリチュアルな活動をやる、ということ自体を最近まで避けてきたのですが、
「腹くくってやっても」
「ぐちぐち理由探していつまでも先延ばしにしていても」
どっちにしても、「怒られる・なんか言われる(自分の至らなさを指摘される)」ことは避けられないのだろうな~と、今日、山中を歩きながら、太陽カンカン照りの日差しの下で気づいたのでした。

やはり、自然は偉大な師です。(そして時に恵みであり、時に脅威である)

太陽だって、雨だって、雲だって、虫だって、動物だって、時と場合によっては誰かや何かにとっての「邪魔」だったり、「嫌い」なものになったりするし。
だから、まず、自分らしさを受け入れることはOK。

次に、「やってみなくちゃ、どういう反応が周囲から返ってくるかはわからない」というすごくフツーに単純なことにやっと気づいて、そこもようやく受け入れて

かつ、「相手や周囲にどう思われようが、やる」という「自主性を取り戻す」ことが必要だなぁ、と思いました。

 

(生きててごめんなさい、とか言うの、この地球上でも人間くらいではなかろうか。生きるのにも許可を得ないといけないのか、って考えると人の世界はちょっと怖い。)

 

「自らを信じる」と書いて自信

 

人から認めてもらえば、「これは自分がやって大丈夫なんだ」ってすぐに自信には繋がりますけれど
人の目や意見を気にして躊躇しているうちは、「自分のやることを誰かに責任取ってもらいたい」とかまだ思っているってことだし、それって自信がないってことですよね。

自分の情熱より、他人の評価が優先。自分の熱意や可能性を信じるより、他人の予想が優先。
これじゃ、恥かくのが怖くていつまでもやらないのも無理ないですよね。

ずっと他人の評価が気になっちゃう。他人から良い評価がもらえないと、私たちは自分の好きなことも好きだと大声で言っちゃいけなくなる。やってたらバカにされる。そういう記憶が、子供時代、いえ、もしかしたらDNAレベルで染みついている気がします。

 

自分以外の人達と上手くやっていくために、私たちは小さい頃からいろいろと大人から学ぶけれど、心の底から「自分がその教えを身をもって実感した」という子供時代を、どれだけの大人が経験できたでしょうか?
教えられた形式的な、大人の顔色を窺って、とりあえず言うこと聞いとけば社会の中では大丈夫、っていう思い込みが、普段の何気ない思考の中にたくさん引っかかっているようにも思います。

 

そして、その小さなことが、いまだ色んな自分の思考・意思・判断に影響しているみたいだなぁ、と思います。

 

あとは、謙虚にしとけば人から痛いところ突かれないだろう、という
防衛心からくる自信無さげな態度とか。
書いといて、「おーう。これは何とドス黒い無意識(笑)」と自分でも思います。

 

まぁ、人間、ほとんどの人が傷つく思いをするのは嫌だろうと思います。
他人より優れてないと安心できないとか、認められないと自分はこれをやっちゃいけないんだ、とか
そういう「嫌だな」って思う原因は、やっぱり自分の中にあるわけで、自分以外の世間や周囲でいう「好きにやっちゃダメな理由」っていうのも、自分がその理由に同意してしまう理由も自分の中にあるわけで。

 

だから、やってみる前から「やっても大丈夫?」なんてハイヤーセルフに聞くと
「自分でまずやって(決めて)みなさいよ、何のために地球に生まれてきてるのよ」って、わりとこういう返事がきてしまうのかもしれません。(^^;)

 

ハイヤーセルフは、肉体における子と母の関係の母のような、私たちの物質生活の保障する人ではないのですから、当然っちゃ当然なんですけど、「どうしても、仕方なくやる」という役目や使命というキーワードに私たち人はなぜか弱い人が多くて(自分含め…笑)、「色々やってみて、色々な決定・経験を自分でする」という人生の醍醐味を避けて通ろうとすると、途端にシーンって黙ったりもされるわけです。

 

人のせいにして、環境のせいにして、やりたいことを我慢したり、逆にやりたいことをやりたくないことにしてみたり、人って思うことコロコロ変わるなー(笑)って自分の心や気持ちを観察してると思います。
私の場合は「恥をかきたくない!」ていう怖さがその「やってみたいことを避ける心変わり」の中心にいるけれど、この怖さの中心というのは人によって色々違うのでしょうね。

 

オマケの話


ミディアムシップの講座中、一番面白かったのは、会いに行った方に
「白ご飯食べて元気を出せ!」と言われたことです。シンプルで豪快。

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