エンパスの打たれ弱さを克服するために

スピリチュアル

自覚のないエンパスよ、もう自分は社会において豆腐メンタル枠である事実を受け入れよ。

のっけからひどいタイトルですみません。

でも、私自身を含め「もう、アカン…」と頻繁に衰弱してしまうエンパスがコントロールできていない人達に向けて、あえてのタイトルにしてみました。

その目的は、ただ一つ。
潰れず、潰されず、押し流されず、むしろ何とか持ちこたえて非エンパス寄りの人達に淘汰されない耐久性のあるエンパスを世の中に増やすための方法を一つでも考え共有し、エンパスの社会活動を増やす
ことが、今回の記事の目的です。

エンパスってなんでそんなに打たれ弱いのか

まず、エンパスと言えば
「心優しい繊細な人達」と、よく紹介されますよね。
しかし、心優しく繊細であるということは競争原理の現代社会において不利なのは言うまでもありません。

あえて意地悪な言い方をすると、エンパスというのは
優しいというより、優柔不断ともいえるし
繊細というよりかは、自分が向ける他人への気持ちに対して心配性なのです。
どういう判断をするかは自分で決めるものだし、相手がこっちの態度をどう受け取ろうがコントロールは出来ないのに、ついつい気にしてしまうし、相手の気持ちや態度を勝手に受け取って勝手に気分が悪くなったりするのもエンパスです。

ハッキリとした自覚のないエンパスはみんな自分と同じくらいの感性で生活してるはず、と自分に言い聞かせ、何とか毎日を頑張っています。

しかし、実際はそうではないのでエンパスの気遣いは「やけに(今どき気持ち悪いくらい)優しい人だなぁ。」くらいに受け取られて、思ったほど相手からは優しさが返ってきません。
エンパス特有の優しさは人類共通ではないのです。そこを無自覚エンパスはわかっていません。

無駄に広い心の風呂敷をあちこちで広げてしまい、後で自滅するのが無自覚な状態のエンパスなのです。しんどいくせにね。

ちなみにエンパス拗らせると、人一倍冷たい人間にも豹変します。自己&人間不信になるからです。
エンパスだからって、何でも許したり水に流せるとは思わないでください。
ただの同じ人間ですから。

エンパスの自滅パターン

エンパスはだいたい次のようなパターンで自滅していきます。

・自分の行動にいつか気づいてくれるだろうと待ってたら待ちくたびれて自滅
・良かれと思ってやったことが伝わらなくて自己反省を繰り返すうちに自滅
・他人を理解しようと自分1:他人9の割合で生活を続けてしまい自滅
・他人の顔色伺い過ぎて本来の目的に手を付けられず自滅
・人に協力してもらうより協力させられっぱなしで自滅
・ガツガツ取り分を主張しなかったために貧乏くじを引かされて自滅
・環境によって人一倍体調が変化することを薄々知っていながらも普通の人達に軟弱だと気付かれたら色々面倒なので我慢して自滅
・どうにかしなければと思うが今までの自滅のダメージがキツ過ぎて体力回復できなくてだからといって世間体など気にしてジッとしていることも出来ず無理して行動してまた自滅

悩みごとの大半は人間関係が原因だと言いますが、それは人間が社会的生き物だからです。
エンパスは単純に、人口の中の少数派なのでもうそれだけでハンディを背負っているのですが
社会適応が極めて困難な人達<頑張ればまだ何とか出来るエンパス≦社会適応できてる多数派の人達
という中途半端な立ち位置のため、少数派の為にあるセーフティーネットに入ることも難しいわけです。
エンパスがしんどいのは、エンパス側が我慢したらどうにかなるのではないか、と自分でも他人からでもそう判断してしまいやすいためです。

また、社会の中で運よくエンパスが活躍できる場所を見つけられたとしても、そこは非常に競争率の高い場所となっていることがほとんどです。
なぜなら、単純にエンパスが活躍できる場所が社会には少ないからです。


既存の社会での場が少ない=自分で起業などしてどうにかするか、不得意なところでも何とかやる、という流れになってしまいがちです。
よく、社会に活躍の場がなければ自分で起業してしまえばいいという意見もありますが、起業は非エンパスであっても相当に体力・気力を必要とするものですし、色々消耗しやすいエンパスが起業することは慎重になったほうがいいと私としては感じています。せめて、自分の消耗を自分で解消する日常的に実行可能な手段を確立させておく必要はあると思います。

エンパスの自衛手段


よくある手段としての、海に行くとか山に行くとか神社仏閣に行くとか、ヒーラーにクリアな状態にしてもらうとかは、環境が整っていないほとんどのエンパスにとってはたまのご褒美であって、日常的にできるわけではありません。
将来的にそういう環境に移れるようになるまでは、現実問題として、何とかしのがねばなりません。

そのためには、なるべく自分が快適な状態に一番近いものを優先することが大事です。
日常生活で「苦しい」とか「嫌だ」が多いようなら、その気持ちより

「楽しい」とか「気持ちいい」という感覚が上回るように努力してください。
(エンパスが日常生活を送るにあたって、嬉しい・楽しい・気持ちいいは、義務くらいに思ったほうがいい。)

仕事探しなら、優先順位として

・一番自分が機嫌のいい状態で長時間いられる必須条件
を必ず洗い出しましょう。

お給料や事業内容より、通勤時間(不特定多数から影響を受ける時間)や仕事内容(接客なら、どんな客層・接客スタイルなのか、仕事にかける時間配分や職場全体のペースなど)、職場のある場所(空気が悪かったり、自分がいて居心地の悪さを感じないか)、制服があるならその制服を毎日着ることになっても大丈夫かなど、そういうったことを人一倍気にして、選り好みしないといけません。

え?仕事に就けるだけ有難い、と思わないとって?

その気持ちだけで毎日普通に仕事に行けるなら、あなたはエンパス向けの記事を読まなくても大丈夫です。

あとは、プライベートでも自分の身の回りのものはお気に入りで固めるようにしてください。
プライベートぐらい、人の二、三倍はワガママになるべきです。
(なぜって、あなたの気難しい機嫌取れるのあなたしかいない。)

実はちょっとしたことで機嫌が悪くなっているのが、エンパスです。

他人にも家族にも、そんなこと言いはしませんが
周りに人がいなくて、自由に独り言が言える空間になった途端に…
溜め込んだ毒、出ていませんか?

あなたは自分がエンパスであるという自覚がある限り、自分の機嫌は自分で取るという約束を守るようにしてあげてください。
エンパスは美点ばかり言われることが多いですが、性根的には「京都のいけず」と変わりません。

エンパスとは、独自の美学を生まれつき持った、ワガママな人種だといっそ開き直ってしまったほうがエンパス特有の繊細さに振り回されずにすむかもしれません。

社会に問題提起をする役割だったエンパスの今後

このブログを読んでる物好きな人には、わざわざ説明しなくても分かることなので長々書きませんが、エンパスじゃなかなか上手く生きていけない今の社会は、非エンパスにとってもなかなかキツいはずです。
(現代人は実際の殺し合いを表立ってしていないだけで、漂っているオーラはかなり殺伐としたもの。ここ5年以内でとても色濃くなりました。観光客の多いグローバル化している地域のほうがより濃く感じます。)

エンパスが今後、何とか社会的に生き残るには
・なるべくエンパス同士で繋がれる関係を持っておく
・エンパスであることを隠さない
この2つを意識しておいたほうがいいのではないかと思います。

そして、これからは非エンパス傾向の強い集団にはなるべく近づかないようにし、一人でもエンパスっぽい人がいるところへ所属するなど、社会全体のカナリアの役割から段々離れていきましょう。

他人の優しさに期待し過ぎないのも、地球に転生したエンパスの魂の学びであるようです。

誰かがどうにかしてくれる、とか

いつかわかってくれる、とか

そういう気持ちがあるうちというのは、厳しい言い方をするならば、非エンパスに対しては甘えですし、エンパスの自分として自立することを決めた人たちの視点からすれば「そんなんだからいつまでたってもしんどいままなんだよ!」と思う(でも、こんなハッキリは言ってくれません。自分でここまでちゃんと思って気付くことが大事だからです)ことでもあるのです。

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