人生とは、何だろう?

スピリチュアル

祖父の旅立ちの日

先日、祖父の納骨を行いました。
梅雨入り前、家族三人と一人のお坊さんによってでしたが
5月の陽気を残した爽やかな青空のもとで、祖父は今度こそ心置きなくあちらに
旅立てた___。
そんな確信というか、気配というものを感じて、今回はブログに祖父のことを書かせてもらいたいと思いました。

私の祖父は、いわゆる内弁慶な人でした。
身内には結構ワガママなのに、外の人達からは「良い人ね~」と評判が良く
その差に家族は困ったり呆れたりでしたが、祖父が亡くなったときは
家族以外の周囲の人たちが本当に、別れを惜しんで泣いたり代わる代わる挨拶に来てくれたりと、
「ほんと、おじいさんは周りの人に恵まれているねぇ」と親類・家族は口を揃えて言ったものでした。

とはいっても、私たち家族からはものすごく憎まれていたというわけではなく、
家族だったからこその出来事や大変な思いからくる冷静さや受け止め方があり、それと他人である周囲の方達との温度差が、ちょっと呆れを通り越して、もはや可笑しい感じですらあったのですが
亡くなって一年が過ぎた今では、そんな祖父との思い出は懐かしんで話せるくらいにはなりました。

そして、数週間前の納骨の日。
こんなことを堂々と言うのは世間体的にアレだと思うのですが、ウチはわりと簡素なお葬式をしたので
お坊さんにお経をあげてもらうのが、なんと納骨の日が初めてだったのでした。


私は死後も人の魂は存在していることを何の疑いもなくそう認識しているので、
お葬式は残された生きている人達のもの、という感覚が強く
正直なところ、納骨の際のお経も儀礼みたいなもんだろう、と思って座って聞いておりました。

ところが。

「祖父が、今お経をあげているお坊さんの目の前の祭壇のところに立ってる」
という気配を、お坊さんのお経が始まってすぐに感じたのです。

私はこの日のこの経験を初めてにして、お葬式などでお経を唱えることの意味がわかりました。

故人がこの世とのけじめをつけるための合図・宣言、またはその手助けをするために
お経は唱えられるのだ、ということが。

おそらく、家の仏壇にお骨があった一年間は、まだ四十九日に近い状態にいたんだろうな、と
祖父の気配とその様子からわかりました。

なぜなら、祖父が今までの人生で何を感じ、何を思ってきたのかが、こんなふうに伝わってきたからです。

「病気の身体で思い通りに生きられない、家族に素直になれない、でも、その人生なりに
自分の出来ると思う限りの善い行いもしてきた。
そして、人は魂として還る時は、この善い行いがどれだけできたかを、振り返りながらあの世へ旅立つ…自分の人生、これで良かったんだ…」

魂の状態になった故人が成仏する段階になると、自分の人生を客観的に振り返ることをしたり、自分自身を別の人間のように思うことができるようになります。

人は肉体を失って浄化が進むと、生きていた頃の人格とはべつに、真我とも言い表す、魂としての意識が段々強くなっていく。

私は今回、祖父があちらへ旅立つ前の意識を通して、直感的にそれを知ることが出来ました。

人生の最期に思い出すこと

私たちは悲しいかな、その最期の瞬間が実際にやってこないと、
自分や他人の魂・生命の尊さを、なかなか感じることができません。

生きている間に感じがちな、人が憎いとか、誰かを羨ましいとかいった気持ちは、ちょっと想像してみたらその通りでビックリするかもしれませんが…
なんと、自分やその人が「明日、いや、今にでも死ぬかも」という状況や気持ちになると、不思議とどうでもよくなる感情なのです。

私たちの魂の本質は、本来はそれなのです。
「自分や誰かを愛したい、内から溢れてくる生への愛を表現したい」
その感情が、浄化された魂の状態です。

先ほど書いた、私の祖父があちらの世界に行く前に残していった言葉は、実際にはこのような感情のニュアンスなのですが
浄化された人の魂は、生前の生き方・性格について厳しく判断することはしません。
なぜなら、全ての理由をもう分かっているからです。

どんな人生も、生を全うすることは尊いことです。
どんな選択を人生で行おうとも、人は全て自分の人生を自分で振り返ります。
そして、その時に重要だと感じることは
「肉体を持ちながらも、魂としての自分自身を表現できたか?」ということです。

魂としての私たちが持つ愛は、私たちが普段寝ている時に無意識に繰り返す呼吸のような
とても繊細なものです。

だから、普段普通に生活していると私たちは肉体の欲求に意識を奪われて、自分が肉体を超えた魂の存在であることを忘れてしまうのです。

なので、私たちはそのことを自分以外の人の死や、想像上の物語を通じて、
または、神仏に祈りを捧げる場所や空間に影響を受けることで、
何度も感じ直して思い出そうとするのです。

死んでしまったら、もう地上での名誉や権力・財産はあの世へは持っていけません。

人があちらに旅立つときに思うことは、「周りにどれだけ愛を表現できたか」
ほとんどが、そういうことなのではないでしょうか。



まぁ、こういうことは普段から考えても考えなくても、どっちでもいいかと思いますが
(人生の物質次元の体験はそれはそれで楽しいこともある)
ふと、「自分の人生は何の意味があるのかな」と思う時には、こういう考え方もある、ということで
今回の話のオチとさせていただきます。

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