誰であっても、他人との間に健全な境界線を引くことの大切さ

スピリチュアル

境界線の弱い人がそうなってしまう理由

依存症、うつ病、敏感で繊細な人が多いエンパスやスピリチュアルな人達
これらに当てはまる人達の多くは、他人との境界線を引くことが苦手な傾向にあります。

スピリチュアルな人や精神的な問題を抱えている人が
他者との間に境界線を上手く引けない人が多いのは、

家族や身近な人達から

「そんなのおかしい」
「あなたの考え過ぎ」
「気のせい」

このような、言葉や態度をとる人間関係の中にいて
自分の素直な感覚や感情を否定され続け、
失望や困惑といったネガティヴな気持ちを多く経験してきてしまったことが原因です。

スピリチュアルな思想に偏り過ぎている傾向がある人の例では、

「自分と他人の区別を無くして、神様のように許してなんでも受け入れることで
今まで他人や家族から否定されてきた自分もまるごと救われよう」
というようなスピリチュアル理論で自分の本心から逃げてしまうことにより、
かえって自分本来の正しい感覚を弱めてしまっていることが原因ですし

精神的な病気になるほど自分を追い込んでしまっている人の場合は、

「どうせ自分の本当の気持ちは受け入れてもらえない。
だったらはじめから自分を無くしてしまえばいい」
というような自暴自棄な気持ちが、他者との間にあるべき境界線の弱さに繋がっています。

どちらも、自分の感情や感覚を二の次にしてしまって
周囲の意見やスピリチュアルなものに自分の意思決定や感じ方を
委ねてしまっていることが共通しています。

自分が世界に存在していないかのような不安感が、不幸な人間関係や状況を招く

人は自分の感情・感覚が確かだと思えないとき、
まるで自分自身がこの世界にちゃんと存在していないような
不安な気持ちになります。

自分の感覚を抑圧したり無いものとして普段振舞っていると
失礼な態度をとられたり、軽く扱われてしまう状況をなぜか多く引き寄せてしまいます。

それは、自分が思った(感じる)ようにこの世界にしっかりと存在していると、
そう自分自身が認識(許可)出来ていないからです。

そもそも自分でも自分のことがよくわからないのに、
他人からはちゃんと自分の思ったように認識してもらえるはず、と考えるのは
このことに気付いてみるとちょっとおかしいですよね?

他者との間に正当な境界線を引くことが必要なのは、
自分たちがお互いのことを精神的に自立した一人の人間として尊重し、
対等なコミュニケーションを行う者同士であることを理解してもらうためです。

人と人の健全なコミュニケーションにおいては、
自分が心から納得できる理由もなしに、自分の感覚・感情・時間・権利などを
簡単に他者に侵害されるべきではありません。

もし、こちらがちゃんと相手との境界線を示しているにも関わらず
それを尊重してくれない相手なら、そういう相手とは健全な人間関係を築くことはできません。

自分の正直な感覚が境界線(パーソナルスペース)となる

「私は、こういうことが嫌」

「私は、こういう状態でいる時が楽しい、嬉しい」

「私は、今、こういうことを感じている」

この、「私は~だ」という自己表現が、他者との間に
「あなたと私は、違う個性・違う感性・違う思考を持った、ひとつの存在だ」
という境界線の役割を果たします。

試しに、今感じていることを素直にそのまま口に出して表現してみてください。

そうすると、自分の意識と身体がピタッときれいに重なってオーラもしっかりと安定します。

安定したオーラは、目には見えなくても、あなたと他者の適切な距離を保ってくれる
パーソナルスペースとして働くのです。

まとめ

現実の生活の事情を考えると
「いつでもどこでも、は無理」とか
「そんなことをしようと思ったら、今の生活自体を変えないといけない」
など、どうしようか?と考えてしまう状況などもありますが

今まで人との境界線が弱いな、と自分で感じる生き方をしてきた人は
まず自分の感情や感覚を信じ、自分の素直な気持ちを大事にするだけでも、
人から失礼な態度をとられたり、誰かにエネルギーを奪われてしまうような状況
がなぜか少なくなっていきます
ので、
ちょっとずつ試してみてはいかがでしょうか。

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