自閉症である自らの体験を綴ったドナ・ウィリアムズ
宇宙人系、スピリチュアルに惹かれる方は、自分が
「アスペルガー」「ADHD」と診断されるような人なのではないか?ということを
一度は考えたことがあるのではないかと思います。
例に漏れず、私自身もそうなのですが
事実、私はおそらく、ドナ・ウィリアムズの著書である
「自閉症だったわたしへ (原題:NOBODY NOWHERE) 」に書かれていることの
そのほぼすべてにおいて、理解と共感(自分のことがそのまま書いてあるかのようで、共感どころの話ではないくらいです)できることから、現代医学の言うところの
自閉症(アスペルガー)と考えて間違いはないように思われます。
ただ、私を含めた多くの発達障害と思わしき人達
その中でも、そのような社会の少数派として位置づけられていることを
私は社会的に弱者だから仕方がない、と開き直りも出来ず
かといって、どこまで頑張って普通の人のふりをしてみても、それも出来ない
こういった自閉症者たちの心の葛藤が、まるで今生きて苦しんでいる私たちのことと何も変わらず、
90年代前半にドナ・ウィリアムズが書き上げたこの本に、文章で描かれています。
残念なことに、ドナは2017年に亡くなっています。
私がドナの著書に出会ったのはほんの数日前のことなのに、私にはもう、ドナが残していった本やYoutubeの映像からでしか、彼女を知ることができません。
私は、ドナの著書に出てくる、ウィリーやキャロルという名の
「外の世界(家族や友達)に対応するための人格」に関して、
とても強く興味を惹かれました。
なぜなら、私もそういう「心の中の同居人」と長い間共同生活をしているからです。
こういう話をすると、たいていの人によく誤解されるのが
定型発達の人が当たり前に持っている「自己同一性」が認識できたうえでの
社会的なペルソナ(人格)のことを言っているのだろう、と判断されてしまうことです。
定型発達者は、社会的なペルソナを被っていても解離しませんが
非定型発達、自閉症者であるアスペルガーだと、社会的なペルソナを被る状況はすでに、
自分の感覚や感情から解離が起きているという状態になるわけです。
もちろん、一言でアスペルガーと言ってもいろんな感じ方があるので、
一概にすべてのアスペルガーがこうだとは断言できません。
ただ、非定型発達者の本来の自己同一性と、定型発達者向けの社会が求める振る舞いとの間に
大きな隔たりがあり、その隔たりに苦しんでいることはどのアスペルガーのタイプであっても
確かだと思います。
私から見た、自閉症(アスペルガー)の先輩のドナは、
「自閉症とは、自閉症である自分とはどういった存在なのか」について自覚できて、
その苦悩や内側の思考を、鮮明に言葉にしてくれた人です。
ドナがこのように本にして残してくれた言葉がなければ、
私は自分がいつもどのように物事を感じているのか理解するのに、
今よりも年月がかかってしまっていたのではないかと思います。
著書の中でも触れられていますが、自閉症の傾向の強い人は、
他者と直接コミュニケーションをとるよりも、物(物質・五感)を通して
外の世界を理解することに安心を覚えます。
世間一般で言うところの、オタクという感じですね。
通常、定型発達者の場合は他者とのコミュニケーションに安心感を感じるとのことらしいのですが
自閉傾向の強い非定型発達者にとっては、定型発達向けのコミュニケーションは、
時に抵抗感や恐怖を感じさせるものでもあります。
定型発達者のやり方で自分の外側の世界を認識するということは、
非定型発達者にとっては、泳げないのに生活の何もかもを海の中で行え、
と言われている感覚に近いのです。
また、いくら訓練しても、定型発達者のやり方に慣れるということはありません。
当事者でない人は、この事実がなかなか理解できないようです。
残念ですが、当事者の親、専門家や支援する立場の人でもこれをわかっている人はまだまだ少なく、
良かれと思って定型発達者の作法を教えることに熱心になっていたりします。
そして、普通じゃない非定型発達者が普通の人(多数派)の生き方に何度も挑んでは、
心身が疲れていくうちに、すっかり生きる気力がなくなっていく時のことを、
ドナは次のような文章で語っています。
わたしの世界の外側の人たちは皆、この状態を克服するには、正常にふるまう術をもっと磨いてゆくしかないと言った。だがそれが何を意味するのか、わたしは知っていた。それは、あるがままの自然なわたしは、受け容れるに値しない人間、どこにも属することのできない人間、つまり、生きている価値さえない人間、ということだったのだ。
Donna Williams(1992) . NOBODY NOWHERE Jessica Kingsley Publishers Ltd .
(ドナ・ウィリアムズ 河野万里子(訳)(1993). 自閉症だったわたしへ 新潮社)
自閉症傾向のある人達にとって、「自分なりに世界と自分を繋ぎ留めておくためのツール」は、この世界を生き抜くための命綱のようなものになります。
取り上げられたら、自分という輪郭を認識する感覚が無くなってしまう。
(これは大袈裟な比喩でも何でもなく、文字通り、意識や五感が正常に働かなくなるのは
当事者である私が実証済みです)
よく、支援者側の人達は
「こだわりの強い発達障害者の人は、個性を大事にしてあげると良い」
と考えているようですが
当事者からすれば、それはちょっと理解しているニュアンスが違います。
当事者は自分の感覚を取り上げられると、自分が生きているという感覚が持てなくなってしまうから、傍から見れば異常なほどの執着を見せるように見えるだけなのです。
ある人にとっては、それが音楽であったり
ある人にとっては、それが規則的な動きをしていることだったり
またある人にとっては、自分の好きな香りに囲まれていることかもしれません。
私にとっては、日常のあらゆる疑問を調べて、自分で思考し
それを占星術やスピリチュアルという言語や表現のフィルターを通し、
ブログで表現していくことが、そうだと言えそうです。
これは、以前に心理占星学のブログ記事で書いたことと、同じ繋がりを持っています。
自閉症でありながらも、的確に自身を分析し
かつ、自閉症としての自分を偽ることも捨てることもなく自分を生ききった
ドナ・ウィリアムズという方のホロスコープチャートを読むことで
心理占星学のサインごとの自己防衛タイプと、その表れ方、課題、人生における意味を
少しでも掴むことができるのではないか?
そう感じたので、さっそく彼女のチャートを読んでみたいと思います。
ドナのホロスコープチャート
1963年10月12日の、オーストラリアのビクトリア州メルボルン生まれ。
太陽:天秤座
月:獅子座
水星:天秤座
金星:天秤座
火星:蠍座
木星:牡羊座
土星:水瓶座
天王星:乙女座
海王星:蠍座
冥王星:乙女座
太陽星座天秤座の生まれで、私はその時点でもう
「なるほどなぁ」と思ってしまいました。
天秤座は風のサインなので、知性・比較による才能があります。
ドナが自閉症にもかかわらず、他者との違いについて辛抱強く適応しようと努力を重ねてきたのは
天秤座の客観性によるところが大きかったのではないかと思います。
知性・周囲との関りの中で習得するコミュニケーション
現実への対応力を表す水星は、天秤座3度にあります。
サビアンシンボルは、「新しい日の夜明け」。
これは、自分自身を外の世界にさらけ出し、そのたびごとに自分が変わっていく
ということをイメージするシンボルです。
ドナが幼少期から獲得してきた知性・生き方、そのほとんどは
母親や友達から真似た人格でした。
それぞれの人格がウィリーとなり、キャロルとなり、意識の奥のほうに引っ込んでいた
本来の自分の核であるドナに変わり、外側の世界を体験していました。
金星は、天秤座の最後の30度。
生まれ時間が分からないので、もし午後の10時以降くらいに生まれていれば、
蠍座に入っている可能性があります。
天秤座の最終度数では、今までの経験を統合することにエネルギーを使います。
他人の言動、知識、自分の経験、感情や反応、それらを己の内でまとめてしまうというわけです。
金星は、自分という感覚を確認することを象徴していますから
他者との境界線を意識する天秤座の最終度数ということで、
次のサインの蠍座のように一体化しようと思うけど、その直前で踏みとどまる
そんなギリギリの身体感覚が、ドナにとっての金星の体験であったと言えるのではないでしょうか。
月は、獅子座にあります。
母親、養育者から与えられる環境・生きるためのサバイバルの条件を月が示します。
ドナの母親は自己顕示欲の強い人だったようで、自分の夢であった
バレリーナへの憧れのために、娘のドナにけっこうな仕打ちをしていたことが
著書の中では描かれています。
他者の関心を惹くパフォーマンス、自分らしい表現をする
そんな獅子座らしい月の表現は、スクエアになる蠍座の火星によってトラブルが起こることを示しています。
しかし、トラブルと言っても、この火星と月による騒動は
「ドナ自身の生存の為の戦い」なので、避ければいいというものでもありません。
(たいていの人は、ホロスコープの中のスクエアの存在を嫌いますが)
自分の火星を受け入れるまでは、辛く苦しい戦い(ドナの場合、母親との)になりますが
月の示す、安全な場所を手に入れるためには、ドナは火星によって戦わなければならなったのだと思います。
自身の安全を守るために、ドナは月とオポジションの位置の水瓶座16度にある土星を意識するようになります。
ドナは、自分のことを客観的に見えているようで見えていない部分である、
獅子座の月の主観性からくる失敗(キャロルの体験)を
修正したり、他者から境界線が破られてしまわないように
水瓶座17度の「ガードをしている番犬」というシンボルの示すエネルギーを持った
土星を活用することになったのではないかと思います。
キャロルであった時のドナは、社会的に不遇な状態である人達に同情・同調しようとしすぎるあまり何度も生活の破綻を繰り返していました。
その理由は、本当は守るべき自分と他人の境界線を守れないことが原因でした。
土星は、克服すべき課題としてそれを表しています。
月・土星・火星(コンジャンクションの海王星)はTスクエアになっています。
スムーズにいかない、葛藤する角度ですが
こういう配置の天体の活路を考える時は、どの天体が一番状態が良いか、あるいは
他の天体をまとめるのにどの天体が一番合理的かを考えると、上手くまとまるように思います。
ドナの場合、品位が良いのは水瓶座の土星で、月と火星に比べ影響力のある天体なので
問題に取り組む最中に堂々巡りになってしまっているときは、土星に解決策を求めるのが良いかと思います。
他に特筆すべきこととしては、ドナのホロスコープにはYOD(ヨッド)の配置があります。
木星を頂点として、海王星と冥王星の3つで形成されています。
ヨッドには、「神の手」というあだ名がつけられていますが、
実態は「なかなか自分の思うように事が運んでいかない、コントロールが難しいもの」を表す配置です。
求道者・探究者的なアスペクトと言い換えても良いかもしません。
使いこなせれば、カリスマ的になります。
しかし、それだけに、高度な技能や忍耐が求められるというイメージです。
彼女の場合は、自分の人生に発展や豊かさ・広い視野をもたらす木星に、
海王星と冥王星というもはや個人の領域をとっくに超えたところからのプレッシャーが注がれていたわけです。
そして、木星は太陽とオポジション。
ヨッドの影響を避けては通れない配置です。
ドナの人生は、なかなかに壮絶といっていいほど、たくさんのドラマがあったのですが
それがこのヨッドの配置が示すような「天啓・使命」によるものであったなら、
彼女は本当によくぞ、耐えきったと思います。
なんていったって、海王星と冥王星という「常識の通用しない」天体からの影響だったのですから。
私たちの人生は、社会の常識や親からの言いつけによって生きられるものではないこと
それをあらためて、
ドナの著書、ホロスコープを一緒に読んだことで強く感じました。
ドナが親や世間の普通に従って、ずっと自分を偽り押し殺して生きていたままだったら、
このような世界的なベストセラー作家にはなっていなかったことでしょう。
そんなドナのホロスコープは、自分が自分の人生を生きることの勇気と、
そのことに気付かせてくれたように思います。
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