ホロスコープにおける月星座は、人生の主役(使命・目的)になりうるか?

占星術

占星術を使う上で、外せない天体である月。

月は、幼少期の頃の運勢を見るのに重要な天体であり、またその人自身のキャラクターを表すとも言われています。

月星座による占いはここ数年続くブームになっており、太陽星座よりも個人的な分類が可能な為、プロや趣味のレベルの占星術家を問わず、講座も本もよく売れている様子。

月星座は個人のデリケートな部分の感情や記憶を引き出すために、他の天体から読み取れる情報よりも「当たっている」ような気分にさせてくれます。

ですが最近、占星術家のマドモアゼル・愛先生の「月は欠損である」という説を知ったことをキッカケに、月は「その人自身を表すのではない、というほうがより真実に近いのではないか?」という、長年の疑いのような感覚が、私の中でより確信に近いものになってきました。

今回は月(月星座)が本当はどのようなものなのか、気付いたことについて書いていこうと思います。


月は現実を肉体で体感するためのVR装置(幻想)である

月の本質は、幼少期に作り上げた感情的・物質的な安心感を得る為の思い込みではないかと、私は考えています。

実は、人にとって必須と思える月(感情と記憶)の欲しがっている安心感は幻で、決して手には入りません。

なぜ幻だと断言できるのかと言うと、月が与えてくれるものや月が欲しいものは、次々とスクリーンに映し出される幻であり、本当の意味で手に入れることは出来ないのです。

例えば、月は母親を示しますが、子供にとって母親は一番初めに幻想を抱く相手です。
「お母さんはこういう人」
「お母さんは私(僕)を愛してくれている」
「お母さんは何でも叶えてくれる」
こんなふうに、子供は自分の親に対して美しい幻想を抱きますが
やがて成長して一人の人間として自立出来てくるにつれて、母親も普通の人間であり、
思い描いていた幻想の姿とは違うことを受け入れる必要性に(健全な精神
状態なら)気付くのです。

ですので、自分の月(月星座)が欲しがっているものは出発点が幼少期に抱いた現実への幻想であることが多く、深追いすると必ずどこかでガッカリさせられるような仕組みになっています。
自分の月星座が求めるものは、最終的に幻滅して執着を捨てなければならない対象というほうが近いのではないでしょうか。

月は依存する相手が必要になる

月は太陽に照らされてその姿が認識できるように、占星術的な意味でもそれと同じことが言えます。つまり月星座の性質はそれ単体では機能できず、太陽の助力が必要となるわけです。

太陽からご飯(光)をもらって、月(植物)は育っていきます。
始めは何もない状態から膨れていき、やがてどんどん細くなっていきます。
月は太陽に合わせてでしか成長できず、月そのものは光が届くタイミングを待つしかありません。

ですから、月を重視して月を自分自身だと信じていると、自発性や創造性といったものが発揮できなくなってしまいます。
そうなると、周囲の環境や時の経過による変化に流されるままになり、コントロールできない状況に不満や不安を感じやすくなってしまうというわけです。

月星座はその人の安心感であると解説されていることは多いですが、実はこの世界において本当の意味での安心感など、生きて肉体を持って存在している限りはどこにもありません。
しかし、それだと到底耐えられないから「とりあえずこの状態は安全だと言うことにしておこう」と思うようになった部分が月星座
なのではないでしょうか。

月星座にこだわり過ぎると、精神や魂の成長の機会が奪われる

月にこだわり続けることは、狼に育てられた少年が自分のことを人間だと気付かない(認めない)まま一生を終えることにも似ています。
肉体がある程度安定するまでの間はとりあえず月の性質を使っていても良かったけれど、自分という存在を100%表現して生きていくには、人間としての自覚(太陽)をもって、水星を使って成長したり、金星と火星を使って世界を知っていくという経験が必要です。

しかし、私達はふとした時に幼少期の習い性(月星座)で、現実での安心感を再現しようとすることがあります。
子供の頃に上手く行ったやり方を大人になった今でも繰り返すのは、親や周囲の環境からの心理的な自立が不完全であることを示しています。

人生において、価値あるものを創造したり残そうと思うなら、繰り返しの月(日常)を維持することを人生の第一の目的にするのではなく、日常を使って何を創造(太陽を表現)するかを決めて行動していくことが大切です。

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